2024/04/18 21:51

どのようにしたら美味しい珈琲を淹れることができるのかについて、お話しをさせていただきます。
わたしは自己紹介のところで
「正しい珈琲の淹れ方に関しては、多種多様な意見や考え方がネット上に溢れていますのでそれらを参考にしてご自身にあう淹れ方を見つけてください。」
と書きました。
ですので、今回も淹れ方や方法や手順や器具についてはいっさい触れません。
こうしなきゃいけないとか、こうしちゃいけないとか、淹れ方においては皆さまそれぞれのオリジナリティーがあっていいと思っています。
ですが、ただひとつだけ皆さま全員に実践してほしい珈琲の淹れ方があります。
それは、
「念じること!!」
そして
「気持ちを入れる!!」
ことです。
…はい、ちょっとひいてますよねw
わかりますw
さて、では念じるとか気持ちを入れるとか、いったいどういうことなのかを説明していきます。
まず皆さまが、どうしたら今以上に美味しい珈琲を淹れられるのだろうか?
と考えたときに、通常ですと「おいしい珈琲の淹れ方」ですとか「珈琲の上手な淹れ方」といった感じのワードで検索をかけ、実際に淹れてみて、飲んでみて、そこで満足がいかなければ、さらに検索をし、淹れてみて飲んでみての繰り返しかと思います。
実際にいろいろな淹れ方を知るという意味でこれはとても良いことだと思いますし、この繰り返しこそが珈琲のおもしろさでもあると思います。
ただし、淹れ方の手順や細かなレクチャーを見て覚えるだけではだめです。
1にすることはこれ、2でこれをして3でこれをする、といった機械的な作業工程によって淹れられた珈琲、それは単に珈琲味の飲み物にすぎません。
これは珈琲に限ったことではなく、料理や絵や音楽などでもそうです。
淹れ方がちょっと違うだけで、具材の切り方がちょっと違うだけで、筆の力加減や音を鳴らすタイミングなんかがちょっと違うだけで、すべての仕上がりは全く別のものに生まれ変わります。
その「ちょっとの違い」こそが「念」であり、「気持ち」なのです。
「美味しい珈琲を淹れたい」、「美味しい料理を作りたい」、「良い絵を描きたい」「良い演奏をしたい」という気持ちが強ければ強いほど念や気持ちが入り、感動を与えることの出来る説得力が生まれます。
…なんとなく、話しがそれました…w
戻します…w
ひとり分の珈琲を美味しく淹れるのは難しいという声をよく耳にします。
ひとり分という少ない量の豆に注いだお湯はドリッパー内に留まることなくすんなりと下に落ちてしまいがちです。
何十年も珈琲業界に携わっでいるベテランさんたちですら狙いどおりの抽出がしづらいと本音をもらしたりしています。
これは技術的というよりも物理的に難しいんです。
抽出とは、ドリッパー内でなにが起こっているのかをしっかりと理解し、お湯の注ぐ量やタイミングなどを細かくコントロールをすることです。
つまり、ひとり分の抽出量だとコントロールをする時間をじゅうぶんに与えられないまま抽出が終わってしまうということになりかねません。
ですので、やはり抽出量としてはいちどにふたり分以上を用意したほうが安定感があって満足のいく仕上がりとなるのは至極当然のことです。
しかし…、
ひとり分とふたり分の仕上がりに差が出る要因、実は他にも理由があるのです。
それもやはり、
「念じること!!」
と
「気持ちを入れること!!」
なのです。
ふたり分、もしくはそれ以上を淹れるということは、つまり自分以外の人のための珈琲を準備しているということだと思います。
たいせつな人のための1杯、せっかくなら美味しく淹れたいと皆さまそう思うはずですし、「美味しい!」というひとことが聞けたら、これはとても嬉しいですよね。
その思いこそが「念」であり「気持ち」なのです。
気持ちが入ることで、細かな微調整であったり細かな工夫であったりと、無意識のうちに美味しくしようとする「感」が自然と働きます。
「おいしくな~れ、おいしくな~れ」
メ◯ドカフェなどで有名なあのおまじないフレーズ。
テレビで見るだけで実際には行ったことがないので、現場の空気感がわかりませんが…w、まさに(たぶん…)「それ」です。
声に出すかどうかは個人の自由ですがw
(フレーズも自由です 笑)、心の中で真剣におまじないをかけてくださいね。
技術的でも物理的でも科学的でもないひと手間。
最終的には、これがあるかないかです。
皆さまにお渡しする珈琲豆たちと、わたしは常に会話をしながら焙煎をしています。
珈琲豆たちとの会話の続きは、
是非皆さまで。
最後までお付き合いいただきまして、
ありがとうございました。